他者の感情が分からない
そのように感じる場面というのは結構ありませんか?
考え方が多様化し、それを簡単に世界中へ発信できるようになった現代では他者の理解できない考え・気持ちに触れる機会が多くなってきました。
しかし、それは根本的に価値観が真逆だったり、文化圏が違ったりという要因が大きく
同じ(近しい)価値観や文化圏の中では案外分からないということは少ないもの。
だからこそ人は同じコミュニティ内の生活を活発に行います。
ただ、中には感情そのものを知覚するのが苦手な人もいて
たとえ同じ環境にいる相手でも全く感情を読み取れなかったり、自分の感情を伝えることができないという場合があります。
そういう体験に身に覚えがある・身近にそういう人がいるという場合はもしかすると『失感情症(アレキサイミア)』を抱えているかもしれません。
今回は、私が失感情症になった経緯と体験談、その克服方法についてお話していきます。
失感情症とは
厚生労働省のページによると、失感情症とは以下のような特徴があるそうです。
- 自分の感情がどのようなものであるか言葉で表したり、情動が喚起されたことによってもたらされる感情と身体の感覚とを区別したりすることが困難である。
- 感情を他人に言葉で示すことが困難である。
- 貧弱な空想力から証明されるように、想像力が制限されている。
- (自己の内面よりも)刺激に結びついた外的な事実へ関心が向かう認知スタイル。
もう少しかみ砕いた表現に言い換えると
- 自分の感情を言葉に表すことが苦手、体で表現するのが苦手
- 人より空想力が劣るため、想像することが苦手
- 客観的に考えることが苦手
- 興味関心が自分よりも外側(他者)に向きがち
- 自分の感情に気づきにくい
失感情症という名前からは、感情を失くしてしまったというイメージがされやすいですが
また、自身の感情を言葉に表すことができないので自分がどう感じているのか分からなかったり
感情を身振り手振り・表情などで表現することができないといったことも挙げられます。
そのため、周囲からは感情がない(起伏が少ない)・気持ちが分からないといったイメージを持たれがちです。
失感情症になりやすい人の特徴
医師『岩瀬 利郎』先生によると、以下の特徴を持つ人は失感情症になりやすいそうです。
- 緊張しやすい人
- 不安を感じやすい人
- 几帳面で完璧を求める傾向にある人
- 八方美人的な人
- 責任感が強く、まじめな人
- 神経質な人
- 女性に多い傾向
- ストレス対処法を身に付けていない人
私の場合、原因はストレスでした。
子供の頃に家庭環境によるストレスと、田舎特有の文化が嫌で学校生活もストレスでした。
かといって全く環境に馴染めていなかったわけではなく、こういうものだと割り切って自分を押し殺しながら過ごしていたので、問題なく社会生活を送れていました。
ただ、こういうストレス下で自分を抑え込むという行為が徐々に感情の認知を鈍らせていった原因なのでしょう。
家庭環境については、下記記事を参照してください。
失感情症になった体験談
失感情症の自覚が芽生えるまで
12歳ぐらいまでは、私は非常に感情豊かな子供でした。
親に聞いてもそのように言われていますし、私もその記憶があります。
13歳になったあたりから『悲しい』という感情が湧かなくなり、
そこから10年以上たった現在でも悲しいという感情を知覚したこともなければ泣いたこともないです。
そのことをすぐに自覚できたわけではなく、周囲との感情の温度差で違和感に気づき始めました。
高校の学校行事などで、周囲が涙を流す出来事(悔しいとか悲しいとか)に遭遇した時に私は全く涙が出る気配がなく、自分の感情が全く湧いてこなかったです。
一緒に時間を共にしたにも関わらず全く気持ちを共有できませんでした。
その時に、ふと『あれ、私が最後に泣いたのはいつだっけ?』と自身に問いかけ、そこで悲しいという感情が分からないということに気づきました。
そこから私の動きを振り返ると、私の表情や身振り手振りは
「こういう時はこのように感じる・動く」というまだ感情の認知が正常にできていた子供時代の記憶と経験を頼りに演じていたことを自覚します。
内面と外面が違うので、かなりチグハグな人間になりました。
- 湧いた感情を自覚できても、過去の記憶や経験以外の感情表現ができない
- 感情が湧いていなくても、周囲に合わせるためにそれらしい表情・動きをする
ただ、幸いなことに周囲を観察してどのように立ち回れば利口なのかをすぐに考えを巡らす知恵はあったので、
相手が求める動きを実行することで社会生活は事なきをえて高校を卒業することができました。
しかし、こういった無意識に相手に合わせえて自分を抑圧する生活はストレスに違いありませんでした。
感情の認知は全体的に出来ていません。
特に悲しいという感情は、本当に分からないという状態です。
失感情症という診断を受けるまで
私が失感情症と判明したのは、大学入学を果たした18歳の時でした。
さすがに私自身おかしいと違和感を覚え、心療内科に相談しに行きました。
その時に、いろいろとカウンセリングを受けたり心理テストや知能テストを受けたりして
失感情症という診断を受けました。
診断結果に補足として、知能が高い(IQ140程度)ため社会生活で困るということはないだろうと説明を受けました。
確かに、社会生活は問題なく送れています。なんなら優等生の部類に数えられるくらいには上手く立ち回っているくらいです。
ただ、『自分が分からない』ということに対する『不安』とも『衝動』とも言えない何かが私の中で渦巻いていて、それが私を掻き立てます。
ただ、その上記の通り失感情症ゆえに「何とも言えない何か」を表現することができず、医師に伝えることができませんでした。
結局、治療もうまく進まず私は通院をやめてしまいます。
社会人になった現在では
相も変わらず、感情について考えては全く自覚できずにいる日々です。
そして、経験と観察を頼りに上手く隠しながら生きています。
ただ、社会人になってから写真撮影に可能性を見出して、一眼を用いて写真活動を行っています。
上手く言えないですが、写真を撮っている時に「感動」とか「好き・嫌い」とか
そういった単調ではありますが、感情の起伏が感じられて来たので、もっと続けてみようかと思っています。
芸術活動と言えば大げさかもしれませんが、もともと人の感情を刺激する分野が芸術なので
そういった所に足を踏み入れることは私に限らず失感情症患者に良い刺激になるのかもしれません。
昔の感情豊かだった自分を取り戻せたらと思い、今日も生きています。
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最後に
繰り返しになりますが、「失感情症」というのは感情がない状態のことではなく
感情はあるが、それを自覚し表現することが苦手な状態を指します。
このブログで漫画の感想などを書いているところからもわかるかと思いますが
私自身、24時間全く感情が湧かない・認知できないというわけではなく
そして行動の全てが演技というわけではないです。
私には親友と呼べる人が3人いるのですが、親友といるとき感情は間違いなく湧いています。
「おそらくこれが楽しいという感情なのだろう」と認知しながらではありますが、
前向きな感情であるという自覚が持てる数少ない相手なので、そういった関係を大切にしていきたいですね。
持論ではりますが、失感情症の方は芸術分野に関わってみるといいと思います。
そういった感情を乗せる活動は、荒療治ではありますが確実に影響があると思うので、
音楽、絵、写真、ガラス、折り紙など自らの手で創り出す「創作」ができる事にチャレンジしてみましょう!
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