ウェーバーの理解社会学入門 -社会的行為と理念系を分かりやすく解説-

社会

社会学を学ぶ人が必ず知っているだろうという人を挙げる場合、必ずウェーバー名前がある。彼は、デュルケムと同じく、社会学を学ぶうえで欠かせない人物である。

現代においてウェーバーは、よくデュルケムの方法論(社会的事実)と対比する形で紹介されることが多い。それは、ウェーバーがデュルケムと同様に社会学の方法論を作り上げた人物であるからだ。

両者の方法論は、どちらかが正しくて、どちらかが間違いであるということではなく、研究内容に応じて方法を使い分けようという話。つまりどちらも正しいということがポイントである。

ここでは、ウェーバーの方法論と共に彼の理論を簡単にまとめていく。

  1. 理解社会学の前提知識を解説
  2. 社会的行為の解説
  3. 理解社会学とは何か

 

ウェーバー方法論の前提知識を解説

行為と行動

結論から言えば、ウェーバーは「社会的行為」を理解するのが社会学であると規定し、理解社会学として成立させた。では、社会的行為とは何か。それを理解するためには、「行為」と「行動」の違いを押さえておく必要がある。

「行為」と「行動」の違い―それは単語として違うということもあるのだが、社会学では「主観的意味」があるかどうかで区別する。行為には主観的意味が存在し、行動には主観的意味はないというのが基本的な考えだ。式にすると分かりやすい。

  • 行為=行動+主観的意味
  • 行動=生理学的反応

例えば、欠伸や咳、瞬きなどは、普段の生活では何か意味を見出して意識的に行動しているわけではない。ただ単に、体の内側もしくは外側からの刺激に反応した無意識の結果でしかない。このような場合は、行動に分類される。

では、主観的意味を持つとはどういうことなのか。読んで字の如くなのだが、「自分の行動に意味を見出している状態」のことを指す。

「私はAという目的のために、Bという意味をこめて行動しているんだ」ということ。

瞬きを例に考えてみよう。通常の瞬きは無意識のうちにするもので、私たちはそこに意味は見出していない。ただの生理学的反応でしかないため、行動になる。

では、「行為」としての瞬きはどのようなものがあるだろうか。例えば、目にゴミが入った時に、目をこすったりした後、鏡で自分の目を見ながら瞬きをして何も問題がないことを確認するといったことは行為にあたる。つまり、「目のゴミが取れたことの確認」という主観的意味付けがされた瞬きであることから行為であるといえる。

  • 行動としての瞬き=無意識に行う、ただの生理学的反応。
  • 行為としての瞬き=「ゴミがとれたか確認する」という意味を込めた、自発的な行い。

本人に「目的意識があること」「意味が込められていること」がポイントでである。

 

社会的行為

さて、社会的行為とはいかなるものか。それを式にすると以下のようになる。

社会的行為=行為+他者の行動への意味付けと関係付け
他者の「行為」ではなく「行動」であることに注意。

なぜかというと、他人の主観的意味はその人の口から伝えられでもしない限り分からないから。その人が行っていることが「行為」なのか「行動」なのかは、本人にしか分からない。

「いや分かります」という人は、「きっと〇〇なんだ」という自分の推測を事実として誤認しているだけである。推測=事実ではない。当たっていたという場合は、結果論でしかない。客観的に正確に他者の主観的意味を毎度把握することは不可能である。

つまり、他者とは100%正確な主観的意味を共有できないので、周りからはただの「行動」にしか見えないということ。

関係付けというのは、他者との関わりの中で行為をしているということ。行為と社会的行為の違いは、人との関わりがあることである。先ほどの鏡の前で瞬きというのは、自分ひとりが居ればよいのだから自己完結している。しかし、日常生活では、他者がいることが前提の行為の方が多い。

他者と会話している状況を想定してみよう。

Aさん:嘘をついた。しかも嘘であることがバレたくない。
Bさん:B本人は疑ってなどいないが、Aから「疑っている」と思われている。

例えば、Bさんが「目を細めている」としよう。その行動を見て、Aさんは「嘘を疑っている」と意味付けをしたということになる。この目を細めたというのは、ただ周囲の光が眩しかったのかもしれないし、本当に嘘と疑っているのかもしれない。実際の所、Bさんの本当の主観的意味は分からない。だからAさんから見て、「嘘を疑っているように思える」というのが意味付け。

この時、Aさんは、心理学のテクニックを使って乗り切ろうと考えたとする。
心理学には、嘘をつく時・後ろめたいことをしている時などは瞬きが増えるというものがある。それを逆手に取って、嘘をつくときは瞬きの回数を操作することで嘘だとバレる可能性を下げることが出来る(かもしれない)。この場合、瞬きに「嘘を隠す」という意味が込められているということになる。

このように、AさんはBさんの反応を見て、自分の次の行動を決めるような「他者との関係がある行為」を「社会的行為」と呼ぶ。

 

社会的行為の類型

4つの社会的行為

社会的行為が分かったら、いよいよ理解社会学の概要について触れることができる。

理解社会学とは、4つの社会的行為を用いて社会を分析する。

伝統的行為:習慣に基づく行為。昔からの習慣だからという理由で行われるため、非合理的な行為に分類される。

感情的行為:その場の感情や気分に基づく行為。非合理的な行為に分類される。

目的合理的行為:ある目的・結果の実現のための合理的な行為。現代社会に生きる私たちの行為は、この目的合理的行為が最も多い。

価値合理的行為:特定の価値ある事の実現を目指す合理的な行為。詳細は後述する

 

価値合理的行為の詳細解説

ざっくりと4つの社会的行為を紹介したが、「伝統的行為」「感情的行為」「目的合理的行為」の3つは読んで字のごとくなので、あまり難しくはない。しかし、4つ目の価値合理的行為が、一番分かりにくい類型であると思う。

これは、目的合理的行為と対比させると理解しやすいだろう。一言で表すと、結果と過程どちらを重視するのかという違いである。

  • 目的合理的行為:結果重視(結果>過程)
  • 価値合理的行為:過程重視(結果<過程)

目的合理的行為というのは、とにかく結果を出すこと・目的を実現させることが最終目標であるため、合理的な過程をたどる。

一方、価値合理的行為というのは、「合理的かどうか」という観点で言えば非合理的である。しかし、自分の価値観(宗教・美意識、信念など)の観点で言えば合理的(筋が通っている)行為になる。

例えば、急いでいる時に人から道を尋ねられたら丁寧に案内するなどだろうか。合理的に考えるならば、急いでいる状況なら自分の要件を最優先にするべきだし、今時道に迷ってもスマホで調べれば解決できるのだから、わざわざ自分が案内する必要はない。

しかし、自身の価値観(善意など)を基準にした場合、困っている人を見て見ぬふりをするのは非合理的であるため、道を案内するという選択肢を取るだろう。一見したら非合理的だが、その人にとっては「善意に従った結果」という合理的な行為ということになる。

4つの社会的行為と理念型

4つの社会的行為』にて、社会的行為を解説した。しかし、人間の社会的行為が完璧にこの4つに分けられるというわけではない。

例えば、伝統的行為において本人にとって伝統こそ価値があるものであると信じている場合、伝統的行為と価値合理的行為の複合した行為になる。

例えば、毎年大規模な祭りを実施している自治体の場合、祭りのせいで収支が赤字になっていようと、伝統を続けることに価値を見出していた時、伝統を続けることこそが当事者にとって合理的な行為である。そこには赤字という非合理伝統の継続という(当事者にとっての)合理が同時に成り立っているわけだ。

人間のあり方は複雑なので、同時に社会も複雑に成り立っている。そのため、完璧に仕分けることはできない。しかし、数々の事例から共通する本質的な特徴を見つけることはできる。そのような本質的な特徴を洗い出す作業(概念)を、ウェーバーは理念型と名付けた。

つまり理念系とは、分析したい社会現象が4つの社会的行為のどれに当てはまるのか、またはどのように複合しているのかを判断し、どのような行為であるのか理解を深めていく試みのこと。

この理念型は、理解社会学の重要な概念である。

 

まとめ

前提知識である「行為」と「行動」の違いは下記の通り。

  • 行為=行動+主観的意味
  • 行動=生理学的反応

どちらも他者を必要としない自己完結した行いである。

 

社会的行為=行為+他者の行動への意味付けと関係付け

他者との関係の中で成立する行為。他者の行動に意味を付け、その解釈をもとに相手の行動に応じた行為を行うこと。

さらに社会的行為には4つの類型がある。

伝統的行為非合理的
感情的行為非合理的
目的合理的行為合理的
価値合理的行為合理的

 

上記4つの類型に現実の行為を当てはめて分析していく過程を理念系と呼ぶ。

理解社会学は、この理念系を使って社会的行為を理解しようという学問である。

 

関連リンク

マックス・ヴェーバー - Wikipedia
理解社会学 - Wikipedia
理念型 - Wikipedia

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