教育を通して子供は親の真似をする。変わるべきは大人の方。~社会学から教育を考えてみる~

教育

 

賛否が分かれる子育て論

先日このような記事がTwitterのタイムラインに流れてきたので、気になって眺めてみた。

 

 

教育が上手くいかない原因

・子供自身が原因ではない

・原因は親の考え方にある

 

 

 

考え方を変える方法

親の考え方が変わる➡親の感情が変わる➡子どもへの声かけや態度が変わる➡子どもが変わる➡親の気持ちがさらに変わる

 

ポイントとしては、以上となる。

 

この記事に対し、読者の反応はとしては。

 

 

好意的な意見も拾おうと思って眺めてみたが、ほとんどが否定的な意見ばかりだった。

それだけ教育は答えのない話で、みんな悪戦苦闘しながら取り組んでいるということでもある。

 

 

私は社会人2年目の若造ではあるが、このような記事を読む機会にせっかくだから子育て論・教育論の持論を構築してみたい。

 

Twitterの反応にもあるが、子育て中でもない人が考えたところで、所詮は机上の空論なのだが何も考えずに自分がその時を迎えるよりはずっといいと思う。

 

 

また、こうして記事に残しておくことで将来の自分への問いかけの機会としておこう。

 

子供の原点は必ず親

持論の構築方法としては、自身が学んできたこれまでの知識や経験を基にするしかない。

 

社会学の自我論から考察の基盤を作る

パッと思いついたのは、社会学の自我論だ。

 

社会学では人間には2つの自我が備わっていると考える

①社会(外の世界)と関わる時に表出する意識

②己の中にある「文化・価値観」などを認識する意識

 

 

 

自我の成長サイクル

まず最初に②が親の言動を見て「文化・価値観」を学び、どのように行動するしたらよいのかという判断基準を己の中で構築する(男らしさ・女らしさ・家族の中の常識・学校や世間の常識など)

その基準をもって①の意識が外の世界に現れ行動に移していく。

行動した結果で学び、その内容を②に反映させる。

学び変化した①が再び表に現れる。

 

>親を見て「文化・価値観」を学び

上述の根拠としては、社会学者『チャールズ・クーリー』によって提唱された『第一次集団』。

 

詳細は省くが、ざっくり説明すると人が接触する初めての集団は「家族」であり、家族こそが最も自我形成に深く関わりを持つ重要な集団であるということ。

 

上記を用いて考えてみると、子供というのは自我の成長サイクルが回り始めたばかりであり、自身のオリジナルと呼べるほどの価値観を形成までに至るのは難しいのではないだろうか。

 

 

ポイント

子供のうちは親の考えが自身の価値観の大部分を占めていて(意識②)、その結果表出する行動(意識①)は親を原点としている。

 

 

教育とは何かを考える

原点を同じとする親と子供で行動が違ってくるのは、自我の成長サイクルの回数の違いが持ち合わせている「判断基準」の材料の数の相違につながるため。

 

子供にとっては良かれと思って取った行動も「子供が知らない価値観・常識」を知っている親からすれば異端ということもある。

 

 

ポイント

その「子供が知らない価値観・常識」を教えるのが教育に当たるわけだが、教えることに苦労する。伝えたいのに伝わらない。

 

 

伝え方をどうするか

親のガミガミで真っ先に思い起こしたのは「勉強しなさい」という言葉だ。

 

私自身、過去を振り返ってみると「親から勉強しなさい」と何度も言われていた覚えがある。

しかし、勉強しなさいと言われても「勉強の方法」が分からなかった。「しなさい」と命令されて続ける勉強も楽しくなかったので、なおの事手がつかないし頭にも入ってこない。しかし、親の焦りから何となく「やらなければならない」ということだけは漠然と理解していた。

 

「勉強しなさい」と言う親自身も勉強(学問的な意味で)を積み重ねてきた人ではなかったので、「勉強の内容」や「やり方」を教えられない(加えて仕事も忙しかった)。

 

「自身が勉強してこなかったことで生じた不利益」を考慮して子供である私には勉強させようしていたのだろうが、当時小学生の私にはまったく伝わっていなかった。

 

子供のうちは親の考えが自身の価値観の大部分を占めていて(意識②)、その結果表出する行動(意識①)は親を原点としていると述べたが、これに即して言い換えると

 

 

子供のうちは親の考えが自身の価値観の大部分を占めていて(意識②)

共通点:「勉強は大事」→「でもやり方は知らない」

 

相違点:「将来苦労するから」→「苦労することを大人になってからでないと実感できないため、子供の私には苦労するという部分が実感できない」(自我の成長サイクルの回数の相違)

 

 

 

結果表出する行動(意識①)は親を原点としている

共通点:「勉強はしないといけない」→やり方が分からないまま、闇雲に取り組む

 

相違点:結果が出ない→勉強していないと怒られる(でもやり方は教えてもらえずに困惑する)

※これは、親を原点としているという上述の前提からくるもの。自我の成長サイクルを回す回数が速い賢い子供はやり方を開拓していく。

 

 

子供の頃の私からすれば、「やり方」を教えてほしかったというのがある。

当時の私の感覚を思い出しながら言うと、子供に対しては「言葉よりも行動で示す」方が分かりやすいと思う。

上述の勉強の例でいえば「子供の勉強を見てあげたり、一緒に勉強したり」とか。

 

勉強のやり方が分からないのであれば「自我の成長サイクルの回数が多い」であろう親が改めて勉強しなおして「やり方」を会得したり、誰かから学んだりして、それを子供に伝えるみたいな。

 

自我の成長サイクルの一番最初「まず最初に②が親の言動を見て「文化・価値観」を学び」で、まずは子供に目に見える形で示すこと。

自分の体を毎回張る必要はないので、おもちゃでもネットの画像でもいいから見える物を利用すると言葉よりも伝わると思う。

 

ちょうどツイートのコメント欄で、そのような発言をしている人も居たので参考までに。

 

 

 

話の主軸は「自我の成長サイクル」

大事なことは、子供が自我の成長サイクルを回せる速度が上がるよう手助けすること。

 

やり方は、上述した通り形で「できるだけ形あるもの」を見せる事(親が行動で示すことも含む)。

 

そのため、教育するうえで親自身が教える過程で足りない要素があれば学んだり物を手に入れたりする必要がある。

基本的に教育が上手くいかない時は、親自身が変わっていく方が効率がいいと思う。

 

 

ポイント

・子供が自我の成長サイクルを回せる速度が上がるよう手助けする

・方法は「できるだけ形あるもの」を見せる事(親が行動で示すことも含む)

 

 

あくまで若造の意見

子育てをしたこともない若造が将来のために少し考えてみるという程度のコンセプトで本記事を書いたので、

絶賛子育て奮闘中の方や学問に精通する人から見たら穴だらけの論だったり、机上の空論でしかないと感じるかもしれません。

 

私自身も100点満点の回答だなんて微塵も思っていないので、今後の経験しだいで上述した考えも変化していくことでしょう。

 

あくまで世に流れる数多くの意見のうちの1つとして読んでいただければ幸いです。

 

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